バブル経済の崩壊とその打撃の深刻さが多くの人にはっきりと認識されたのは1991年から92年でしょう。日本経済新聞4紙(日経本紙と専門3紙)で記事検索すると、「バブル」及び「崩壊」に該当する記事数は90年には49件に過ぎませんでしたが、91年には888件に急増。92年にはさらに1079件になり、深刻なトーンの記事が増えてきました。
91年の日経平均株価は2万4000円台でスタートしたあと、弱含みながら行きつ戻りつで推移し、2万3000円台で年越し。しかし、92年になると、3月に2万円大台を割って89年最高値のほぼ半値になり、さらに8月には1万4000円台まで突っ込んでいきました。マクロ経済では93年秋にいったん景気回復過程に入りましたが、力強さに欠けて不況感が長期に渡って続いています。このころの株安は「日本経済の低迷」を先取りしていたのかもしれません。
円相場が1ドル=80円の最高値を付けた95年、山一証券の自主廃業など金融機関の破綻が相次いだ97年とも日経平均の安値は1万4000円台で止まりました。しかし、消費税や社会保険料の引き上げなど性急な財政再建政策で弱々しかった景気回復は腰砕け。貸し渋りと金融システム不安がピークに達した98年10月に日経平均は当時のバブル崩壊後の最安値を更新し、1万2879円まで下げました。大手銀行に対する大量の公的資金投入が固まって株価はようやく底割れを免れました。