1987年10月19日月曜日、米国ニューヨーク株暴落に端を発した株安は、またたく間に世界を駆け巡りました。東京市場では翌20日火曜日に日経平均は3836円、率にして14.9%急落しました。この日の終値は2万1910円。1日の値下がり率14.9%は過去最大で、53年3月5日のいわゆるスターリン暴落の記録(下落率10.0%)を34年ぶりに塗り変えるものでした。この下落幅、下落率とも今も破られない最悪の記録です。
しかし、19日のニューヨーク・ダウ工業株30種平均の下落率は23%に達しましたから、それに比べれば東京市場の下げは小幅でしたし、その後の株価回復過程は対照的でした。年が替わって88年、日経平均は目立って回復し始めました。年初に2万1000円台だった日経平均は目覚しい上昇ぶりを見せ、3カ月後の4月初めには暴落前の高値(2万6646円)を上回ってきました。その後も株式相場は力強い動きをみせ、もたついている欧米市場を尻目に独歩高の展開でした。
株価上昇のきっかけは機関投資家の決算処理方法の弾力化というテクニカルな要因でしたが、上昇に弾みがついた後の説明は「輸出依存型経済から内需主導型経済への転換が進んだ」「円高のプラス効果が経済の各側面に表れた」「日本経済は絶好調」など自信にあふれたものでした。投資家や市場関係者が自信を深めるにつれ、日経平均は高値を追いましたが、この時すでにバブル経済はかなり進行していたのでしょう。
昭和最後の年の64年(1989年)、昭和天皇ご逝去による自粛ムードもあってか、年初の株式相場は比較的穏やかなスタートでした。1-3月の日経平均は3万-3万1000円台で推移。それが4月の新年度入り前後から勢いを付け、毎月1000円大台を改める有り様。秋口からはさらに勢いを増し、年末の大納会には歴史的高値の3万8915円まで駆け上がりました。1年前の88年12月にはじめて3万円に乗せたばかり。1年で8800円近い急騰でした。翌年の株価を予想し、「日経平均5万円も夢ではない」などと威勢のいい声があちこちで聞かれました。