1970

1970年代:ニクソンショックから過剰流動性相場へ

1971年8月16日、ニクソン米大統領によるドルの金交換停止などを柱とするドル防衛強化策発表を受けた日本の株式相場はひどく動揺し、日経平均は215円急落しました。下落率は7.68%でしたが、下落幅ではスターリン暴落を上回り、この時点で過去最大の記録でした。いわゆるニクソン・ショックです。さらに動揺は続き、19日までの4日間で日経平均は550円も下げました。直前の8月前半まで日経平均は高値をたどり、強気の相場展開だっただけに、株式市場のショックは大きなものでした。

ドルの金交換停止によって戦後長く続いたIMF(国際通貨基金)体制は崩壊、1ドル=360円時代は終了。このあと為替は「円切り上げ」の時代に入っていきます。しかし、ニクソン政権の貿易収支改善策や円の切り上げにあっても、日本経済の競争力はそこなわれませんでした。今から考えれば、円の切り上げも日本経済の実力にふさわしい調整をしたに過ぎなかったともいえるでしょう。

1970.png国際収支の動きをみると、71年の貿易黒字は77億8700万ドルと前年のほぼ2倍に急増、72年はさらに89億7100万ドルにふえました。外貨準備高も71年末152億ドル、72年末183億ドルと積み上がります。

この頃、企業は収益が低下し、設備投資意欲は鈍っていました。貿易黒字、外貨準備の増加に伴って膨らんだ円資金は設備投資には向かわず、遊休資金は土地や株式購入に流れました。企業の自己資金だけでなく、銀行からの借入金も投機に向かったと言われています。

この結果、71年12月末に2700円台だった日経平均は72年12月末には5200円台に上昇。さらに73年1月24日には5359円という、過剰流動性相場のピークに達しました。ほぼ1年の間に2倍近い上昇ぶりです。この頃の投機熱は土地や株式だけでなく、ゴルフ会員権、貴金属から宝くじにも及びました。

しかし、73年2月の再度の円切り上げと固定レート制の崩壊を機に過剰流動性相場も終わりを告げます。一次産品を中心にした物価上昇が顕著になり、73年秋の石油ショックへとつながっていきました。

石油ショックの勃発した73年秋は宴のあとの下げ過程。10月末の日経平均は1月高値より1000円余り下落していました。さらに日経平均は74年秋の3355円まで下げていきます。その後、株式相場は回復歩調となりましたが、73年1月高値を上回ったのは78年になってからのこと。過剰流動性によるピークが歴史に残る高値であったことが伺えます。