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1950年代:戦後初の大暴落へ

「スターリン・ソ連首相重体」のニュースが伝わったのは1953年3月4日。翌5日の日本経済新聞朝刊は傍受したモスクワ放送の内容をもとに「スターリン首相重体」と伝え、さらに「すでに死去説」「各国に異常な反響よぶ」と報じました。このニュースを受けて、東京株式市場は主力株や軍需関連株を中心に売り物が殺到、49年5月の東証再開後初めての本格的な株価大暴落に見舞われました。

この日の東京市場について日本経済新聞は「主力株たる東京海上113円安、平和不動産57円安、新三菱重工63円安と半恐慌状態」と報じました。日経平均株価(当時は東証株価平均)は37円81銭安の340円41銭を記録。37円の下げは現在の感覚ではほんの小動きといったところですが、前年12月に日経平均は360円を上回り、1ドル=360円の為替レートにちなんで「1ドル相場」と言われたころのこと。 下落率はちょうど10%になり、現在でも歴代4位にあたる大暴落でした。

その後、しばらく日経平均は下げ続け、4月1日には300円を割って295円18銭に落ち込みました。ほぼ2カ月前の2月4日に付けた高値474円43銭に比べると、実に37.7%もの下落です。これほどの下げになったのは、1950年に始まった朝鮮動乱を背景にした株式ブームの終幕期だったからです。

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1950年6月に戦乱の火ぶたが切られた朝鮮動乱は良く知られているように、第2次大戦で疲弊していた日本経済を立ち直らせる契機になりました。極東の国連軍用の資材調達によるいわゆる特需や、各国の軍備拡張機運を背景にした輸出景気で日本経済は生気を取り戻し、好景気を支えに株式市場は沸き返りました。

1950年7月初め、ドッジラインによる不況を受けて、日経平均は85円25銭と取引所 再開以来の最低水準に下がっていましたが、このあと2年数カ月に及ぶ息の長い活況相場が始まったのです。日経平均は1950年末には100円大台を回復、1951年10月には170円台と、当時の最高値176円89銭(1949年9月1日)が手の届くところまで上昇しました。翌52年は4月に200円、10月に300円と大台替わりを演じ、12月には360円台の「1ドル相場」の水準に到達しました。年が変わって1953年、株式相場はいっそう白熱化して日経平均は400円を突破、2月4日には474円43銭を付けました。1950年7月の最安値に比べると、ほぼ2年半で日経平均は5.6倍に値上がりしたのです。

しかし、実態経済はすでに調整局面に入っていました。1951年7月の朝鮮戦争の休戦会議を経て、休戦機運が盛り上がるとともに、いわゆる特需は停止、1952年になると生産過剰が表面化して多くの業界で操業短縮の動きが始まりました。景気が調整局面に入ってからも1年あまり、株式相場は上昇し続けていたわけです。

そんな時に襲って来たのがスターリン・ショックです。これによって大衆資金を動員した戦後初の株式ブームは終わりを告げました。スターリン・ショックの影響が大きかったのは、株式相場が実態を離れて、行き過ぎた状態にあったからです。国際収支の赤字などを背景に、1953年10月以降金融引き締め策がとられ、株式市場も反動不況期に入っていきました。